2008/06/25

清明花

1176_2

名前がわからない花がまた増えました。この花は清明節を盛りに咲くので、この花をみんな清明花と呼んでいるらしいです。みんな、正式名知らないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/10

ヌルアッバイ宮殿

S636S637

1912年に造られたヌルアッバイ宮殿はロシアの建築家によるここらへんではちょっと毛色の異なる建物です。ヌルアッバイとは建物の最初の持ち主である裕福な人の名前で、ストーブはドイツから、窓はイギリスからとりよせたものです。どういう経緯かわかりませんが、その後王様の持ち物になったのだとか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/09

奴隷市場

S635

ホラズム王国にも奴隷市場がありました。近くにキャラバンサライ(隊商宿)もあります、人も商売の対象だったように見受けられます。キャラバンサライは宿という機能だけでなく、売買の許可を得るところでもあったのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/08

ハーレム

S633S634

かつてのホラズム王国の王様は四人の奥さんを持つことができました。右から4室が奥さん、一番左が奥さんの親族が住む部屋、反対側は宦官召使の部屋でした。王様は奥さんに飽きると「カラック、カラック、カラック」と三回となえると奥さんをお払い箱にすることができます。奥さんはいつ言われるかわからないので常に何キロもの金目のものをつけていたそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/07

ペイズリー

S631S632

王様と謁見する間の前には事務官と秘書官がそれぞれひかえている部屋があります。双方から許可を得ると謁見の間に入れます。ホラズム王国の王様の謁見の間にはペイズリーの原形のような模様が見られます。ペイズリーの発祥はインドで、魂をデザインしたものなのだそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/06

ジュマモスク

S626S627

かつてのホラズム王国の都ヒワにももちろんジュマモスク(礼拝モスク)があります。10世紀に造られたもので、213本もの柱がぴったり等間隔に並んでいます。メッカの方向を示すミフラブに立つイマームをモスク内どこにいても見ることができるようになっています。虫に食われないこの木の柱は12世紀から残っているものもあります。柱は二ヶ月間水に浸し、更に二ヶ月間綿花油に浸してから紋様が掘られました。パフラバンマフムードが14世紀にインドから持ち帰った柱も残っており、その柱に仏陀やクシュリナを見ることができます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/05

王様の馬車

S630

王様が乗っていた馬車がタシュハウリ宮殿の中に残されています。1876年にロシアから贈られた馬車で、城壁内では二頭立て、外では四頭立てで使用されていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/04

タシュハウリ宮殿の道

S628S629

クニャアルク(古いお城)があれば、同じ城壁内に新しいお城タシュハウリ宮殿があります。タシュハウリとは石の宮殿を意味し、1836年に造られた後世の宮殿です。城前の道には王様が使った馬車の轍跡が現在もそのまま残されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/03

ホラズム王国の茶具

S622S623S624S625

ホラズム王国はアムダリア川の下流に栄え、モンゴル帝国によって滅ぼされてしまった幻の王国です。ヒワの博物館にはこの旅でやっと見つけたチャイハルタのほか、たくさん茶具と思われる展示品がありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/02

チャイハルタ

S620S621

チャイハルタとは昔中央アジアの人たちが腰にさげていた携帯用のお茶の袋を言います。緻密な刺繍がほどこされた巾着型の袋を中央アジアに入ってからずっとさがしていたのですが、たとえたら日本で印籠を探すようなもの、現代の世の中で探すのは難しかったようです。チャイハルタを見つけるのを諦めたころに博物館に展示されているものをようやく見つけることができました。ずーっと昔のものなので使用感がかなりありますが、実物を見ることができた嬉しさのほうが勝るものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/01

イスラムホジャのミナレット

S618S619

イスラムホジャ(1247~1326)はヒワの守護聖人であり、詩人であり、レスラーでもありました。その力の技によってインドに連れ去られたホラズムの人々をとりもどしたということから英雄となっています。ここの井戸水を飲むと幸運になるとか、飲むたびに味がかわるとか言われていることから、飲みに来る人が絶えません。訪れた時もたくさんの子供たちや二組のまさに結婚式中のカップルが飲みに訪れていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/31

ヒワの織物工房

S616S617

ヒワで、草木染めの織物工房を見学しました。糸はザクロ、藍、草を燃やした灰、クルミ、どんぐり、たまねぎ、鉱石などで染め、熱い太陽の光で干します。こちらの人々はとても鮮やかな色を身にまとっていますが、眩しい太陽の下ではそれが似合うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/30

ヒワの木工所

S614S615

ヒワはホラズム王国の都でした。ホラズムという国は職人さんの技術が高い国だったようで、最近でも家を建てる時やモスクやミナレットなど歴史的建築物の修復もホラズムの職人さんが活躍しています。ヒワ城壁の中にも木工所があり夏休みの子供たちがコーラン台やまな板、ステッキなどを作っていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/29

クニャアルク造幣局

S610S611

前日ご紹介したヒワの王様のモスクの前には造幣局が見られます。17世紀初頭から18世紀頃までつかわれ、昔のコインなどが展示されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/28

クニャアルク王様のモスク

S609

ウズベキスタンのモスクやミナレットなどの建築物は1920年のソビエト赤軍による破壊から多くがまぬがれることができませんでしたが、ヒワの町は王様は頭が良く赤軍がやってきた時にすぐに町を解放して抗戦しなかったために保存状態の良いまま現在でもほぼ昔の姿のまま見ることができます。画像は王様のモスクです。中央アジアの王様はみな自分のモスクがありました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/05/27

アースウォッチャー

1208

NHK総合6月1日(日曜日)22;40~22:50『アースウォッチャー月から見た地球』http://www3.nhk.or.jp/kaguya/broadcast.html台湾の世界的な人気絵本作家ジミーが~月から見た地球~をテーマに作品を描くそうです。ジミーの月をテーマにした作品はとても大好きなので楽しみです。
http://www.shinowazuri.com/mybook/contents/moon.html

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/05/26

クニャアルク謁見の間

S608

クニャアルクの王様が謁見する場所には玉座の両脇に2本のアイワーン(柱)が建てられています。後方の扉は3つ。右が王様、中央が大臣、左は訪問者が使用しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/25

ムハマドラヒムハンメドレッセ

S603S613

かつてホラズム王国の都だったヒワにあるムハマドラヒムハンメドレッセはムハマドラヒムハンが造ったメドレッセです。彼は40年間も王座にいながら、詩人でもあり音楽家でもあったという多才な王様でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/24

カリタミナレット

S601S602

かつてホラズム王国の都だったヒワにあるカリタミナレットは1855年に当時の王がペルシア遠征中に戦死してしまい建設が頓挫してしまったと伝わる26mのミナレットです。なのでカリタ(短い)ミナレットと呼ばれます。当初はカリヤンミナレットよりも高いミナレットを建造する予定でした。未完には上記以外にもさまざまな事情や説があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/23

クニャアルク

S604S605

クニャアルクのクニャとは古い、アルクは城という意味があります。かつてホラズム王国の都だったヒワには古い城と新しい城があるのです。クニャアルクは17世紀に造られました。入口の4つの窓から王様は処刑を見学したといいます。4つの窓にはそれぞれ影武者が立ち、どこの窓に本当の王様が立っているかわからないようにしたといいます。それは処刑される親族の報復を逃れる工夫でした。広場にあけられた井戸のような穴は首を切った血を流す穴です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/22

ムハマドアミハーンメドレッセ

S599S600

かつてホラズム王国の都だったヒワにあるムハマドアミナーンメドレッセは1851~55年にかけてムハマドアミハーンという王様が建てたメドレッセ(神学校)です。今までのメドレッセとは異なり、いきなりバルコニーがあったり、植物図柄が特徴的です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/21

アルホラズム

S598_2

かつてホラズム王国の都だったヒワの城壁前にたたずむ像はアルホラズムというホラズムの偉人です。数学者であり、哲学者であり、詩人であり、0を発見した人として知られています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/20

アタダルワザ門

S597

アタダルワザ門はかつてホラズム王国の都だったヒワの西門で正門にあたります。ホラズム・シャー朝はモンゴル帝国によって滅ぼされるまで中央アジアからイラン高原までを支配下においていた王国です。ウズベキスタンにはブハラハーン、ヒワハーン、コーカンドハーンと3つのハーン国があり、ここはヒワハーン国があった場所です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/19

ヒワ

S606S607

ホラズム王国の都だったヒワの誕生にはこんな伝説があります。昔、アラビアからヌクの息子が暑さでふらふらになりながら旅を続けていて、ここで水を飲んだ時あまりの美味しさにヒワーと言ったところからヒワという名前がつけられたという伝説のある町で、城壁2600mの中には本当に物語のような世界が広がっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/18

砂漠のチャイハナ

S595S596

ウズベキスタンに広がるキジルクム砂漠は現地の言葉で赤い砂漠(カラクム砂漠、黒い砂漠もありました)という言葉の意味を持つ砂漠です。砂漠というより荒野という感じでしょうか、このような厳しい環境でも野生動物たちが多く暮らしているのだそうです。ソビエト連邦時代の政策でキジルクム砂漠にはアムダリア川の水を引いて灌漑用水が造られ、広大な綿花畑が出現しました。しかしその影響で、アムダリア川は季節によっては干上がってしまい水をアラル海に届けることができなくなってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/17

アムダリア川

S594

アラル海にそそぐ大河アムダリア川はソビエト時代の政策でそこから多くの運河が造られました。それによって綿花産業は発展をとげましたが、その反面アムダリア川の水が干上がってアラル海にとどかなくなる時期が生まれてしまうようになりました。その結果、アラル海は急激に縮小化されつつあり近い将来に消滅してしまうかもしれません。産業発展と自然保護を両立させることは難しいことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/16

チャールミナル

S592S593

ブハラの普通の住宅街を入ってゆくと出会えるチャールミナルは1805年にトルクメニスタンの裕福な商人が四人の娘のために建てた建物です。ミナレットはそれぞれ模様が異なります。それは娘さんたちのそれぞれの性格を表したのだとか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/15

チャシュマ・アイ・ヨブ

S588

チャシマイ・アユブ(預言者ヨブの井戸)はブハラで最も古い遺跡の一つです。聖者ヨブはイスラム、ユダヤ、キリスト教すべての信者に敬われている人物です。伝説ではヨブがこの場所を訪問して、棒で打ったところに泉が湧いたという伝説があり、12世紀に記念の廟が建てられました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/14

イスマイル・サーマニ廟

S590S591

ブハラを首都としたサーマーン王朝の設立者であるイスマイル・サマニーは、この廟を892年に亡くなった父親のナスル一世のために建てました。イスマイル(907年逝去)や彼の曾孫ナスルⅡイブン・アハマド(934年逝去)もここに埋葬されています。現存する中央アジア最古の建築物で、建物もゾロアスター教の影響を様式から見ることができます。この建物を反時計回りで3回まわると願いがかなうそうです。チンギスカンからも赤軍からの破壊もまぬがれました。焼きレンガの組合せだけで模様がつくられ、月や太陽の光の加減でさまざまな顔をみることができます。サーマーン朝唯一の遺構で、中央アジア最古のイスラム建築です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/13

バラ・ハウズ・モスク

S589

バラ(ボロ)・ハウズ・モスクのバラ(ボロ)は小さい、ハウズは池という意味があります。このモスクは40本の柱があるモスクと呼ばれました。実際柱は20本なのですが、池の水がきれいだった時代に水にうつった柱も数えて40本の柱があるモスクと美称されました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/12

ダルビッシュ

S586S587

ダルビッシュとは放浪しながら布教をするイスラム教徒のことを指します。日本におきかえればお遍路さんのようなものでしょうか。画像のような服を着て水筒を提げて旅を続けました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/05/11

アルクのサモワール

S584S585

ブハラハーン国の王様が40歳以上の男性に朝あいさつをするサラーム・ハナ(あいさつの部屋)は現在展示場になっています。そこで1810年のサモワールを見つけました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/10

宝物殿のライオン

S583

歴代ブハラハーン国の王様が謁見した広場の脇には宝物殿があり、その前をライオンの石像が守っています。1920年に赤軍が侵攻してきた際、王様はライオンの後ろの秘密通路からアフガニスタンへ脱出しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/09

王の謁見場所

S581S582

画像は歴代ブハラハーン国の王が城内で謁見した場所です。王様がニコッと笑えば陳情は受け入れられ、表情を変えなければNoということだったということです。王様には背中を見せてはならず、謁見した人は後ろずさって退出しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/08

王様の礼拝場所

S577S578S579S580

ブハラのアルクでは、17世紀になると鏡が内装デザインに採り入れられるようになりました。王様の礼拝場所でそれを見ることができます。王様は夏には涼しい外で、冬には