文化・芸術

2009/11/07

フーピンホテル

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インレー湖の湖畔に建つフーピンホテルは本館のロビーとレストラン以外、部屋は湖の上に一軒ずつ建つコテージになっていまして、ベランダに置かれたカウチから美しい景色をのぞみながらくつろぐことができます。
朝撮る余裕があればもっとキレイだったのですが、暗い夜に撮ったので、伝わらないかも‥。

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2009/08/13

道教の美術

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先月7月11日(土)から9月6日(日)まで三井記念美術館で特別展「知られざるタオの世界道教の美術」(TAOISM ART)が行われています。
道教とは、不老長生を究極の理想とする中国発の宗教です。
それは、日本にも伝わり修験道・陰陽道などとして展開しました。
道教に関わる美術とはどのようなものでしょう。とても興味深いところです。
7月の初めにチケットをもらったまま、いつか見にゆこうと思っているうちに、あっという間にお盆です。

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2009/08/10

バチカン市国 その6

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サンピエトロ寺院内です。

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2009/08/09

バチカン市国 その5

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ミケランジェロ作のピエタです。

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2009/08/07

バチカン市国 その3

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天使はいたる所にいらっしゃいます。

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2009/08/06

バチカン市国 その2

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基本的に美術館内では写真を撮ることができます(禁止場所もあります)。

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2009/06/23

アテネの国立考古学博物館 その6

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道脇になにげなくゴロンと置かれていても紀元前数世紀の遺物なのです。

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2009/06/22

アテネの国立考古学博物館 その5

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博物館の周辺、オリンピアの下部には古代アゴラが広がっています。

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2009/06/20

アテネの国立考古学博物館 その4

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博物館の外に置かれていた遺物です。

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2009/06/19

アテネの国立考古学博物館 その3

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博物館の中で一番好きになった子はこのわんちゃんでした。

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2009/06/18

アテネの国立考古学博物館 その2

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いろんな形の水差しがありました。

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2009/06/17

アテネの国立考古学博物館 その1

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ひざまずいて両手をあげている少年像は何に用いられたものなのでしょう?
罰をうけている子のように見えます。

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2009/04/25

茶箱

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ここのお店では先代の時代から茶箱を集める趣味があったそうで、美しい蒔絵の茶箱の中には可愛らしいミニチュアの茶道具がはいっています。

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2008/12/25

アヴァノス

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カッパドキアには古代から陶器で有名なアヴァノスという地域があります。ほとんどの工房では足でろくろを回す独特の製造方法を見ることができます。アインシュタインに似た方が代表をしている工房を訪ねました。ここの工房に行けば可愛いワンちゃんたちに会えるというおまけもついています。

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2008/12/24

ナザールボンジュウ

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トルコでは特に、ギリシアでも、イタリアでも目玉のおやじのようなお守りに出会いました。中東や北アフリカのお土産の定番らしいです。悪魔が来ないように見張っていてくれる目玉です。

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2008/12/23

ギョレメ野外博物館 その2

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カッパドキアのギョレメ野外博物館でとくに気に入ったのが上左の壁画です。キレイに画像を残すため、ブレないようにがんばりました。窟の中ですからかなり暗いので、シャッター速度をできる範囲で遅くしました。

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2008/12/22

ギョレメ野外博物館 その1

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莫高窟キリスト教版のようなカッパドキアのギョレメ野外博物館では、フラッシュを焚いてはいけませんが写真をとることはできました(昨年時点では)。他の場所でもそうでしたが、トルコはかなり自由に写真を撮ることができました。

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2008/12/12

イサクパシャ宮殿

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トルコのドゥバヤジット郊外にクルド人の知事イサク・パシャによって建てられた宮殿があります。オスマントルコ時代のものです。鏡によって宴の様子がうかがえるハレム、浴場、廟、牢獄、そして当時めずらしいヒーティングシステムが備わっています。黄金の扉もあったのですが、ロシア人が持って行ってしまったとか。

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2008/12/08

黒い教会の天使

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トルコとの国境に近いイランのマクーにある聖タデウス教会の壁面には天使がいっぱい彫られています。怪獣を踏みつけている勇ましい天使だったり、おねむになっている夢見がちな天使だったり‥、とても興味深いです。

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2008/12/07

聖タデウス教会(黒の教会)

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ガラ・ケリーサ(黒の教会)は正式名を聖タデウス教会と言い、アゼルバイジャン地方で布教に努めて殉教した十二使徒の一人聖タデウスのために建てられた教会です。最初黒い石で造られていたためにガラ・ケリーサ(黒の教会)と呼ばれるようになりました。現在の建物は古い十三世紀部分と新しい十七世紀部分から構成されています。聖タデウスを信仰する悲劇の民族アルメニア人の聖地の一つです。7月の三日間はアルメニア人の巡礼が行われます。世界中に散ってしまったアルメニア人がこの教会のまわり中に集まり、彼らがはったテントで斜面は埋め尽くされます。彼らはこの期間は豚も食べ、ワインを飲み、チャドルをかぶらなくても許されます。

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2008/12/03

アゼルバイジャン博物館 その2

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イランの博物館では最後の最後までササン朝ガラスの美しさを堪能することができました。正倉院に収められているササン朝ガラスは写真でしか見たことがありませんが、同じ時代のガラスをその国でたくさん目のあたりにすることができたのは本当に興味深い体験でした。

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2008/12/02

マスジュデ・キャブード

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ブルータイルの美しさからブルーモスク(マスジュデ・キャブート)の愛称で知られている1465年に建てられたこの寺院は1779年、80年とあいつぐ大地震によって崩壊し、かつての美しさは損なわれてしまいました。現在も修復作業が続けられていますが、一部かつての名残を見ることができます。

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2008/11/27

ゴンバデ・スルタニア

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現在のイランを中心にかつてモンゴル帝国の地方政権がありました。そのチンギスハンの孫による王朝イルハン国に建てられた廟がゴンバデ・スルタニアです。直径26m、高さ48m、二重ドームの外側は64m、焼レンガで造られたドームとして世界で最も高いものです。

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2008/11/24

ガラス陶器博物館 その2

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ガラス陶器博物館には不思議な形をした瓶がありました。涙壺といいます。昔、戦場に行った夫を待つ妻が涙をためた壺なのだそうです。涙がたまると願いはかなったのでしょうか?それが気になった私でした。

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2008/11/23

ガラス陶器博物館 その1

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テヘランにはガラス陶器博物館があります。チャイハネであんなにたくさん見た水煙草の原型がありました。

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2008/11/20

テヘランの考古学博物館 その4

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アケメネス朝ペルシアの祖、ダリウス大王(在位B.C.521~B.C.486)の彫像は紀元前六世紀、紅海と地中海をつなぐ運河を造ってもらった感謝を表したエジプトから贈られたものです。ダリオス大王は帝国と各地方との情報通達を敏速に行えるよう道路網も整備しました。彼が開いた“王の道”によって商業経済が活発化し、帝国は繁栄しました。

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2008/11/19

テヘランの考古学博物館 その3

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ササン朝のガラスがやっぱり素晴らしく、かじりついて見てしまいました。

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2008/11/18

テヘランの考古学博物館 その2

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「目には目を歯には歯を‥」で有名な世界最古の法律が書かれたハムラビ法典(レプリカだと思われます)がテヘランの考古学博物館にあります。この法典はバビロニアで誕生しました。バビロニアは多くの民族をかかえていたため法を作る必要があったのだということです。「目には目を歯には歯を」のフレーズがあまりにも有名ですが、くさび形文字で書かれたそれは旧約聖書や先人の飲用が多用されています。

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2008/11/17

イラン考古学博物館 その1

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イラン考古学博物館で見たもの。動物の不思議なテラコッタです。これらは、似たものが中央アジアとトルコにもありました。大陸はつながっているのですね。

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2008/11/10

アゼルバイジャン博物館 その1

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アゼルバイジャンは共和国の名前だけではなく、イランにも州名として存在しています。長い歴史の中で分かれてしまったからです。タブリーズのアゼルバイジャン博物館ではアゼルバイジャンの民族文化を垣間見ることができます。画像は壁かけです。魔除けとして使われたのではないかとの説明を受けました。

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2008/11/09

コーランゲート

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シラーズはバラと詩と葡萄酒の町として古来から名を馳せました。イスファハンやペルセポリスの方面からシラーズに入る際にくぐる門をコーランゲートと言います。コーランゲートとは文字通り小さく古いコーランが上に置かれた門です。小さなコーランは旅人の旅の安全を祈願して置かれたものです。コーランゲートを見下ろす斜面ではチャイハネやレストランで休憩したりすることもでき、市民の憩いの場所となっています。

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2008/11/05

ペルシア絨毯

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絨毯工房で展示された素晴らしいペルシア絨毯数々を見学させてもらえました。現在イランでは、ペルシア絨毯は20㎡を一枚だけしか持ち出せないように輸入コントロールがかかっています。

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2008/11/04

ミニ・ノマドの生活

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イランでは輸入を中心とした高級品を扱う有名な絨毯工房を見学させていただきました。出来上がった絨毯をコンピューターやネットで管理する最新の設備を持ちながらも、入口には遊牧民(ノマド)のシンプルな生活を表現した可愛らしいミニチュアの人形が飾られていました。

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2008/11/02

ナクシェ・ロスタム

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ペルセポリスから北西6km、ナクシェ・ラジャブから少し車を走らせた場所にナクシェ・ロスタムはあります。ここにはペルシア王のお墓が4基(ダレイオス一世、クセルクセス一世、アルタクセルクセス一世、ダレイオス二世)並んでいます。中央はクセルクセス一世とダリウス一世のお墓で、その下には当時の王たちの偉業がレリーフとして残されています。シャープール一世の226年戦勝記念図は七万人の捕虜と共に連れてこられたローマ帝国皇帝バレリウス一世がシャープール一世に跪いている場面が描かれています。これはペルシア帝国が世界制覇したことを象徴しています。アルデシール一世の王冠を受ける図では王様は髪を長くのばしていたことが、騎馬戦勝図では馬にも甲冑がつけられていたことがわかります。王の玉座をたくさんの民で支える図やゾロアスター教最高神アフラ・マズダのレリーフもきれいに残っています。そしてまたお墓の向かいに、ゾロアスター教の神殿が残されています。

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2008/10/31

ナクシェ・ラジャブ

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ペルセポリスから北西に5km、少し車を走らせたところに、かつてラジャブさんのチャイハネだったところにナクシェ・ラジャブはあります。ナクシェ・ラジャブとはラジャブのレリーフとか壁画という意味で、そこにはササン朝時代のレリーフが岩壁を飾っています。アルデシール一世の戴冠図では、神がざくろの木の杖を持って王冠をアルデシール一世に渡しています。後ろにひかえているのは高官とゾロアスター教の最高指導者、そしてなぜか離れたところにお妃が描かれています。シャープール一世の戴冠図はシャープール一世(右)が馬に乗って、まさに王冠(王権)を受け取ろうとしているところが描かれています。シャープール一世のローマ遠征図は六人の将軍と共に描かれています。ここには古代ペルシア語で右から左にシャープール一世の偉業が書かれているのを見ることができます。

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2008/10/28

ペルセポリス その7

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ペルセポリスを見下ろす斜面にアルタクセルクセス2世のお墓があります。劇場のような舞台の階段を上ると大勢の人々が王座を持ち上げている大きなレリーフがあり、その下奥でペルセポリスを見守るかのように王様が永遠の眠りについています。ペルシャ帝国では捕虜でも奴隷として扱われることなく、お給料があり、作った作品にサインをいれることができました。他国の捕虜がさまざまな文化を伝え、さらなる発展に寄与しました。

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2008/10/27

ペルセポリス その6

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ペルセポリス謁見の間に続く東階段のレリーフ、23ヶ国の民族がメディア人とペルシア人の案内人に導かれて朝貢する姿に比べ、レリーフの中のペルシア人はワインを手に持っていたり、後ろを振り返ったり、人としゃべったり、笑顔でくつろいだ様子が描かれています。

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2008/10/26

ペルセポリス その5

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王様のプライベートパレスやハレムの階段に彫られたレリーフは王族の近くで働いていた召使(宦官)がいろいろな物を運ぶ姿が描かれています。クセルクセスの宮殿は木造なのでアレキサンダー大王の軍がやってきた際に燃やされてしまいました。クセルクセス1世の門はアレキサンダー大王軍が一番最初に火を放った場所とされています。像は黒こげになっており、装飾の宝石がくりぬかれて穴だらけになってしまっていました。

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2008/10/25

ペルセポリス その4

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春を祝うペルセポリスにはたくさんの民族が朝貢に訪れました。それが描かれているのはアパダーナ(謁見の間)に続く東階段のレリーフです。エチオピア人はキリンや象牙を、リビア人はアイベックス(馬)を、アラブ人はラクダを、スキタイ人(サカ族)は織物と馬を、ソグド人は汗血馬を、インド人は天秤にスパイスを、パルティア人とヒッタイト人はふたこぶラクダを、エラム人はライオンを、メディア人はズボンと織物を、アッシリア人は羊を、レバノン人は金の腕輪を献上しました。

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2008/10/24

ペルセポリス その3

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ペルセポリスのいくつかの大柱に描かれた日傘をさした王様の図はアケメネス朝ペルシアを充分に表しています。従者に日傘をさしかけられた王様の下にはそれをささえるたくさんの人々が、王様の頭上にはアケメネス朝の魂が描かれています。

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2008/10/23

ペルセポリス その2

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ペルセポリスでは王の象徴であるライオンの彫刻があちこちに描かれています。ライオンは善、春、王を、獣は悪、冬、敵を表しています。冬をたおして春をむかえる図です。紀元前500年頃も汚れた所でも綺麗な花を咲かせる蓮花は聖なる花でありました。この図が彫られた階段がイスラム教のミフラブ(説教台)の元となった天国への階段へとつながってゆきます。


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2008/10/22

ペルセポリス その1

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イランが誇る世界遺産の中の世界遺産、ペルセポリスはギリシア語で“ペルシア人の都”という意味をもつペルシア帝国が残した遺産です。紀元前512年アケメネス朝ペルシア、ダレイオス1世から始まりクセルクセス1世が完成させた春(新年)を祝う儀式のための建造物です。大階段の一段一段がそれほど高くないのは当時のペルシア人が裾の長いローブのような衣装を着ていたためです。大階段を上りきると人面有翼獣神像のクセルクセス門(万国の門)が訪れた人を迎えてくれます。像は残念ながら顔、特に目がつぶされてしまっていました。

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2008/10/21

バードギール

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土で塗り固められたドーム型の屋根の間から長い煙突のような塔がたっています。このような塔をバードギールと言い、上空の冷たい空気を取り入れる通風口の役割をしています。昔の人の生活の知恵が今も生きています。

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2008/10/20

パサルガダエ

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パサルガダエとはファールス(ペルシアの語源)の地という意味を持つキュロス大王が建国したアケメネス朝の首都の遺跡です。ペルセポリスに比べると残っている遺跡はわずかですが、イラン建国の父とされているキュロス大王が残した遺跡はその偉業から世界遺産になっています。ダレイオス一世の時代になると、都の機能はペルセポリスへと移ってしまいましたが、歴史的意義の大変深い場所だという事実は変わることありませんでした。その後もずっと歴代の王が戴冠式を行う場所でした。人の足が写っている画像で、魚尾のようなズボンを履いている人の足を見ることが出来ますが、これはパンツを発明した民族であるメディア人のものです。騎馬民族らしい発明品です。すその長い着物にサンダル姿はペルシア人です。

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2008/10/19

キュロス大王墓

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自ら戦争をしかけることなく当時の世界で一番大きな帝国(ペルシャ帝国)を造りあげたキュロス大王は支配下においた他民族の人権を重んじ各民族の宗教を認め崇めたことから他国民からも“偉大な”と称えられました。王自ら戦いに参加したことから兵士の人望も厚く、士気も高かったのですが、東方遠征後まもなく今のパキスタンで亡くなりました。亡くなった所からこちらに運ばれたという報告は不明で、アレキサンダー大王がこの地に来た時には王墓は空だったといいます。キュロス大王の石棺が収められていた墓は7層になっています。これは天国までの階段を現しています。ユネスコがここを世界遺産にした所以は人権を大切にし、グローバリズム化を図ったキュロス大王だったからだといいます。

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2008/10/18

キュロス大王

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紀元前550年アケメネス家のキュロスはメディア国を破りアケメネス朝ペルシアを樹立、その後10年ほどでエジプトを除くオリエントを支配する世界帝国を樹立しました。キュロス大王は人権を重んじ、バビロニアを攻撃した時には捕囚されていたユダヤ人を解放、さらに征服した人々の文化習慣を認めたことによって人々の人気を得ました。後に王の道とよばれる道路網を整備し各地をサトラップ(知事)に治めさせ中央集権体制を整えました。パサルガダエにのこる石碑には三つの言語(ペルシア語、エラム語、新バビロニア語)でこう書かれています。「我はキュロス、偉大なる王である」

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2008/10/17

糸杉

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シルクロードの支線アルバクに樹齢4000年をこえる糸杉が立っています。直径18.5m、高さ25mのこの糸杉の周囲は水たまりのようになっていて普段は木まで近づけませんが、この日は多少ぐちゃぐちゃしていましたが幹のそばまで行けました。木の周りでは昼寝やピクニックをしている人がいました。

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2008/10/16

ガナート(カレーズ)

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モスクの中庭には一般的に体を清められるような水場があります。水が大変豊かなヤズドのこのジュマモスクの水場は地下にありました。ガナート(カレーズ)とよばれる地下水路による貯水システムはペルシアでは2400年前アケメネス朝ペルシアの時代から存在しているものです。山の水脈に竪穴式井戸を掘り、それをつないで流すシステムです。中国の新疆ウイグル自治区にもカレーズがあります。清の時代、トルファンのカレーズは二千年の歴史を有すると記録されていたということです。

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2008/10/14

ジュマモスク

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イランにもジュマモスク(金曜モスク)とよばれる、人々が金曜日(イスラム圏では金曜日が休日です)に礼拝に訪れるモスクが当然ありますが、こちらのモスクはお祈りの番組でテレビに映される皆が知っているモスクです。57mのミナレットを持つ14世紀に建てられた建築物です。

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2008/10/13

ゾロアスター教拝火寺院

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ヤズドにはゾロアスター教拝火寺院がいくつかありますが、訪れたゾロアスター教寺院では1500年以上(470年から)絶やされたことがない聖火をガラスごしに見ることができました。ゾロアスター教徒はササン朝ペルシア時代の白い服を着ているのだそうです。不浄を避けるため、こちらにはトイレなどありませんので、お立ちよりの際は、トイレをすませてから参拝しましょう。

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2008/10/10

沈黙の塔

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ヤズドはゾロアスター教(拝火教)の聖地ともいうべき地です。ゾロアスター教は火(光)、水、大地、空気を神聖なものとし、それらを汚すことになる火葬や土葬を嫌いました。そのためゾロアスター教徒は亡くなると風葬や鳥葬によって葬られました。沈黙の塔はゾロアスター教徒の遺体が風葬・鳥葬にされた場所です。

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2008/10/09

アシュラの祭

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アシュラの祭とは681年3代目イマームであったホセインがウマイヤ朝軍に一族72名とともに虐殺された日を偲ぶ日です。自分の胸を打ち(スィーネ・ザニー)、鎖で背中を打って(ザンジール・ザニー)同じ苦しみを感じ、ホレストグレメー(羊、豆、トマトの煮込みスープ)を作って人々にふるまいます。祭の際に百人以上が担ぐという燃える火のような形をしたナフル(日本でいう山車のようなもの)がアミール・チャクマクの広場に置かれていました。

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2008/10/08

アミール・チャクマクのタキエ

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ヤズドのアミール・チャクマクのタキエのタキエとは寺院、バザール、広場を含む複合施設のことを指します。アミール・チャクマクは総督の名前です。15世紀に造られた寺院の上からは市内を一望することができます。

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2008/10/07

ヤズド

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マルコポーロも訪れたというヤズドはアケメネス朝ペルシア、ササン朝ペルシア時代に国教だったゾロアスター教の信者が現在でも暮らしている町として有名です。バザールの屋上から眺めた日干しレンガの上から土で塗り固められた古い町並みはその時代を彷彿とさせるものがありました。

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2008/10/05

ゾロアスターの卍

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昔イスファハンの中心地だった場所にたつジュマモスクは拝火教神殿を改造して造られたモスクです。10世紀から17世紀にかけて、そして最近はイランイラク戦争によって改修されました。このモスクではイスラムのドーム初期の様子や卍柄からゾロアスターの影響を見ることができます。

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2008/10/04

イスファハンのジュマモスク(金曜モスク)

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昔イスファハンの中心地だった場所にたつジュマモスクは画像のように入口にたらした鎖はラクダや馬が中に入らないようにするためのものです。ロウソクたてはこの中に二本のロウソクが立てられるようになっています。ロウソクの灯火は二つの目、その下に長いひげ、イスラム神秘主義スーフィー教聖職者の顔を現しています。

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2008/09/25

マスジュデ・エマーム その3

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マスジュデ・エマームには一般的なモスクとは異なる部分があります。それは出口の壁に見つけることができます。知らないと通り過ぎてしまいそうですが、そこのタイルの図柄に動物が使われているのです(クリックして大きくしてみて下さい。とても可愛い図です)。草花図柄が一般的なイスラム寺院には大変珍しいものです。

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2008/09/24

マスジュデ・エマーム その2

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マスジュデ・エマームのエイヴァーンの奥は二重構造の中央礼拝堂になっており、かなり小さな音でも反響して建物全体に聞こえるようになっています(こういったモスクにはよく見られることです)。13段のミンバル(説教台)は一枚の大理石で造られたものです。

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2008/09/23

マスジュデ・エマーム その1 

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イスファハン、エマーム広場に建つマスジュデ・エマームは着工から26年、1638年に完成しました。この建築物はマスジュデ・シャーと呼ばれていたイランを代表する寺院です。広間に面した門をくぐると度に折れてメッカの方向にエイヴァーンが立っています。七色の彩色タイルのドームの美しさには圧倒されるばかりです。

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2008/09/22

マスジュデ・シャイフ・ロトゥフォラー その2

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この国で孔雀は天国の象徴です。マスジュデ・シャイフ・ロトゥフォラーのドーム天井には光の孔雀がいます。目が悪いので肉眼では天井中央にある孔雀の顔がよくわかりませんでした。カメラの画像によって光の孔雀を確認した時はある意味とても感動しました。

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2008/09/21

マスジュデ・シェイフ・ロトゥフォラー その1

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王様の私邸アーリガープ宮殿から広場をはさんで地下道でつながっているのが王族のための寺院マスジュデ・シェイフ・ロトゥフォラーです。王族のための寺院なのでミナレットはありません。アッバース一世がシェイフ・ロトゥフォラーを迎えるために建築させました。王族の特に女性が他人から姿が見えないような造りになっているのが特徴的です。

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2008/09/20

アーリガープ宮殿 その4

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アーリガープ宮殿の最上階には“陶磁器の間”ミュージックルーム(音楽室)があります。その装飾は音響効果が考えられているだけでなく意匠がこらされています。このミュージックルームにたどりつくためには、高い階段を上っていかなければなりません。王さまは人間エレベーターを使っていたに違いありません。最後にたどりつく所はがんばっただけの価値がありました。漆喰でつくられたミュージックルームは装飾と音響効果の両方が兼ね揃った芸術品です。

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2008/09/19

アーリガープ宮殿 その3

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イラン初の高層建築物であるアーリガープ宮殿は七階建てで、四階にはかつてシャー(王)がポロを観戦したという18本の木柱が支えるバルコニーがあり、さらには噴水池があります。四階にどのようにして噴水が造られたかというと、遠くザグロス山脈から地下水の圧力が利用されたとのことでした。

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2008/09/18

アーリガープ宮殿 その2

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サファヴィー朝ペルシア第5代シャー・アッパース大王のプライベートパレス、アーリガープ宮殿のアーリガープには素晴らしいドアという意味があります。入口を入り、壁の四隅のいずれかに立って壁に向かって小声で話をすると対角線上の壁の角に立つ人だけにその話を聞かせることができる仕掛けになっています。壁の四隅が周りよりも少し黒くなっているのは長い歴史の中でたくさんの人がそこに立ったからでしょうか。

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2008/09/17

アーリガープ宮殿 その1

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「イスファハンは世界の半分」と讃えられたイスファハンの象徴的場所がイマーム広場(かつての王の広場)です。その広場を王が造った美しい建造物が囲んでおり、イラン初の高層建築物シャー・アッバースのプライベイトパレスであったアーリガープ宮殿もそのひとつです。建てられた時代はティムール朝時代の15世紀、アッバース一世時代に改築が重ねられ、当時では珍しい七階建ての宮殿になりました。 

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2008/09/07

イランの子供たち

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イランはペルシア人の国です。典型的なペルシャ人がどのような顔をしているのかわかりませんが、子供たちは睫毛がくりんと長くて、瞳がクリクリしていて、みなとっても可愛かったです。

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2008/08/24

マシャド

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イスラム教は大きくスンニ派とシーア派に分かれています。スンニ派の数がだんぜん多い中、イランは数%しかいないシーア派が国教となっています。シーア派の人は一日3回メッカの方向に向かってお祈りを行い、その際大地を汚さないようモフルと呼ばれる石を用います。マシャドは817年に8代目イマーム・レザーがこの地で殉教したことから聖地となり、16世紀に時の王シャー・アッバース一世がイスファハンから1300kmの道のりを徒歩で巡礼したことからその聖地としての地位を確固たるものにしました。

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2008/08/17

ニサ遺跡 その2

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紀元前3世紀ごろ、パルティアはセレウコス朝を倒し、イラン高原を支配しました。紀元前247から226年の約500年間イラン東部から中央アジア一部を国土としたパルティア王国の都ニサの遺跡発掘は春と秋にイタリアとロシアの隊が行っていますが、現在の時点でまだ30%ぐらいなのだそうです。ニケ以外でわかっている2つの都市でイラクのクテシホンともうひとつヘカトンペロスは未発見のままです。ギリシアのヘレニズム文化を愛し、東西交易を行い、シルクロードを通じた世界でもその名が知られました。アルサケス朝パルティアの名前は中国の史料にも安息国として記載されています。画像はこれから発掘される部分とブドウ酒を流した管の一部です。

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2008/08/16

ニサ遺跡 その1

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ニサは紀元前247から226年の約500年間イラン東部から中央アジア一部を国土としたパルティア王国の都です。アシュハバードの西約15km、コペトダグ山脈をのぞむ荒野にぽつんと存在しています。古代の巨大な帝国であり、ローマ帝国と8回にもわたり戦争を闘ってきた歴史を持っています。ローマは戦争に負けていないのに戦闘に負けたと言わしめた騎馬民族独特の戦法であったパルティアンショット(馬上で振り向きざまいきなり矢を放つ)は捨てゼリフという言葉で残っています。画像はオールドニサと呼ばれる部分で、王族や二千人ほどのその一族と召使が住んでいたぶぶんです。内側が広く外が狭い窓は内側から矢を放ちやすく外からは攻撃しにくい造りになっています。

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2008/08/14

トルクメニスタンの遺跡 その3

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トルクメニスタンから出土してトルクメニスタン国立博物館に展示されている前日ご紹介した以外の出土品です。

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2008/08/13

トルクメニスタンの遺跡 その2

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紀元前247から226年の約500年間イラン東部から中央アジア一部を国土としたパルティア王国はギリシアのヘレニズム文化を好み、王都ニサの宝物殿跡からリュトンが多く出土しました。リュトンは酒器や聖なる水を入れて大地にまく儀式に使う道具として用いられました。

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2008/08/12

トルクメニスタンの遺跡 その1

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トルクメニスタン国立博物館にはロシアの考古学者によって発見された仏教最西のメルブ遺跡から出土した仏典(仏典はエルミタージュにあるそうです)の入っていた壺や仏像、僧院の破片などが展示されています。

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2008/08/11

トルクメニスタン国立博物館

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トルクメニスタン国立博物館は首都アシュハバードにあります。前もって予約しなければならないシステムになっているのでしょうか、高い壁に囲まれた国立博物館に入った当初は館内にいた客は私たちだけでした(その後もう一つグループが十数名入ってきましたが‥)。おかげでゆっくりと遺跡から出土した素晴らしい美術品をゆっくりと堪能することができました。こちらでは記憶では10ドル(ドル札で払います)ぐらいでしたか、お金を払えば館内の展示物を撮影することができます。ブログで数日間、私が撮影環境の悪さにめげずにがんばって記録した画像をご紹介したいと思います。

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2008/08/10

スルタン・サンジャール廟

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スルタン・サンジャール廟は1157年に亡くなったセルジュク朝トルコ最後の王様スルタン・サンジャールの廟です。セルジュク朝はある時代中央アジアからイラン、シリアにいたる広大な地域を支配したトルコ系の王朝でした。建物の高さは38m、正方形の建物の一辺は22mあります。青いタイルでおおわれ、メルブに向かう人は1日前からこの建物が見えました。壁の厚さが5m以上もあったためさすがのモンゴル軍も破壊できませんでした。ただ遺体がモンゴル軍来襲を避けるためにどこかへ隠されたまま不明になってしまいました。廟の天井には小さな天窓が開けられています。これは鳥になって去っていってしまった妃に会えるようにと作られたという伝説が残っています。

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2008/08/08

ムハマッドイブムサイード廟

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メルブのムハマッドイブムサイード廟は12世紀に建てられたイスラム教シーア派指導者の廟です。1937年にホラズムの二人の職人がこの廟のためにここにやって来ました。ひとつのレンガをはずすとすべて崩れる、泥も釘も一切使用しない煉瓦の組合せだけの建築方法で改修されています。

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2008/08/06

ストゥパ(仏塔)

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1950年、最西端に建てられたストゥパ(仏塔)がロシアの考古学者マッソンによって発見されました。遺跡は32の部屋を持つ僧院と考えられ、仏典、ガンダーラ製の黒い仏像、壺(経典が入っていた)、雄牛の頭などそこで発見されたものはアシュハバードの国立博物館やエルミタージュ博物館へ運ばれてしまい、現在は小さな小山のような遺跡だった所というような感じのものが残されています。トルクメニスタンのメルブの遺跡はまだ完全に発掘されていない状態なので、まだここから遺跡が発見される可能性はおおいにあるそうです。

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2008/08/04

キズカラ

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メルブのキズカラは6世紀ササン朝時代の裕福な人の家でした。大キズカラと小キズカラがあります。キズカラ(乙女の城)と呼ばれるようになったのには幾つかの説があります。昔その城の主が乙女をはべらせた、モンゴル帝国が襲来した時乙女たちがここに集まり身を投げた、片方のキズカラからリンゴを投げてそれをキャッチした人と結ばれたなど。泥レンガが作られているため傷みが進んでおり(特に小キズカラは風化しそうでした)、ちょっと心配な遺跡です。

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2008/08/03

アスハブ廟

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メルブのアスハブ廟は7世紀にイスラム教を布教しにここまでやって来た2人のイスラム教宣教師が眠っている廟です。アスハブとは宣教師という意味で、祠は20世紀のもの、それ以外はティムールが15世紀に建てたものです。

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2008/08/02

グヤウル・カラ

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グヤウルカラはエルクカラのまわりに造られたササン朝時代の遺跡です。ササン朝ペルシア軍がローマ軍の1万5千人の捕虜に造らせました。グヤウルには不信心なとか狂ったという意味があります。これが5つの宗教が混在しているせいならば国際都市であった所以ということになります。時代時代で拡張された広域にわたるすべての城壁は上空からでしか見ることができません。城壁には100の物見塔があります。画像を見ていただければ、いくつもの断層をみることができます。弓を構えたかっこうをして子供に立ってもらっている画像がありますが、兵士はあの場所で見張り矢を穴から放ちました。

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2008/08/01

エルク・カラ

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エルクカラは紀元前6世紀アケメネス朝ペルシャからセレウコス朝まで使用された城です。アケメネス朝ペルシャ(中央はペルセポリス)のマルギアナ地方のサトラップが住んだ場所です。円形部分の高さは38m、城壁から入る入口はなく、平民ははしごをかけて入りました。メルブの北はカラクム砂漠が広がっています。カラクム砂漠はトルクメニスタン国土の70%くらいを占めています。

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2008/07/31

古代モスクの貯水槽

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中央アジア最大の遺跡メルブに最後にやってきた宗教はイスラム教でした。メルブの古い遺跡はほとんどが傷みがはげしいのですが、このモスクをおまいりする時に手を洗った貯水槽は比較的はっきりと残っています。これはイスラム教徒だったティムールが改修を行ったからです。その証としてティムール帝国時代以降に使われた25cm×25cmの焼きレンガが使われています。まわりに互いにたてかけられた石やレンガを見つけることができますが、これは自然にそうなったものではなく、ここを訪れた人々がおまじないとしてそのようにしたものです。

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2008/07/30

メルブ

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メルブとはトルクメニスタンにある中央アジア最大の遺跡です。古い時代では紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシャから12世紀の遺跡まで、宗教的なものでは5つの宗教(ゾロアスター、ネストリウス派、ユダヤ、仏教、イスラム)の遺跡を見ることができます。最東端の仏教伝教地が日本ならば、最西端の仏教遺跡の地がトルクメニスタンのメルブというわけです。

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2008/07/29

国境越え

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日本から中国、キルギス、カザフスタン、ウズベキスタンとそれぞれ国境を陸路で越えてきましたが、ウズベキスタンからトルクメニスタンを越える国境はこれまでの中でもかなり過酷な国境越えでした。かかった時間(6時間)も最高ならば待たされた場所の気温(48度)も最高でした。トルクメニスタンは国土の80%がカラクム砂漠(黒い砂漠という意味)で天然ガスと石油などの資源が豊富な国です。そのため国は大変潤っており、例えば電気・ガス・水・塩・衛星450チャンネル、教育費は無料、軽油がただに近い値段であるなどさまざまな分野において国民はその利益を享受しています。カラクム砂漠には砂漠の動物たちが生息し、アラブから鷹狩りをしにくる人たちもいるそうです。今でも砂漠で遊牧生活を送る民族がいて、その人たちは客を天からの贈り物として歓待してくれるのだと聞きました。太陽が沈みゆく砂漠をみわたしてみましたが、遊牧民の方々どころか動くものひとつ見つかりませんでした。

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2008/07/14

無形文化

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貴州省老漢族の村では他ではすでに消えてしまった文化が残っています。映画『単騎千里を走る』で主人公の息子が雲南省で求めた地劇がここには残っていました。

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2008/06/10

ヌルアッバイ宮殿

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1912年に造られたヌルアッバイ宮殿はロシアの建築家によるここらへんではちょっと毛色の異なる建物です。ヌルアッバイとは建物の最初の持ち主である裕福な人の名前で、ストーブはドイツから、窓はイギリスからとりよせたものです。どういう経緯かわかりませんが、その後王様の持ち物になったのだとか。

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2008/06/09

奴隷市場

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ホラズム王国にも奴隷市場がありました。近くにキャラバンサライ(隊商宿)もあります、人も商売の対象だったように見受けられます。キャラバンサライは宿という機能だけでなく、売買の許可を得るところでもあったのでしょうか。

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2008/06/08

ハーレム

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かつてのホラズム王国の王様は四人の奥さんを持つことができました。右から4室が奥さん、一番左が奥さんの親族が住む部屋、反対側は宦官召使の部屋でした。王様は奥さんに飽きると「カラック、カラック、カラック」と三回となえると奥さんをお払い箱にすることができます。奥さんはいつ言われるかわからないので常に何キロもの金目のものをつけていたそうです。

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2008/06/07

ペイズリー

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王様と謁見する間の前には事務官と秘書官がそれぞれひかえている部屋があります。双方から許可を得ると謁見の間に入れます。ホラズム王国の王様の謁見の間にはペイズリーの原形のような模様が見られます。ペイズリーの発祥はインドで、魂をデザインしたものなのだそうです。

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2008/06/06

ジュマモスク

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かつてのホラズム王国の都ヒワにももちろんジュマモスク(礼拝モスク)があります。10世紀に造られたもので、213本もの柱がぴったり等間隔に並んでいます。メッカの方向を示すミフラブに立つイマームをモスク内どこにいても見ることができるようになっています。虫に食われないこの木の柱は12世紀から残っているものもあります。柱は二ヶ月間水に浸し、更に二ヶ月間綿花油に浸してから紋様が掘られました。パフラバンマフムードが14世紀にインドから持ち帰った柱も残っており、その柱に仏陀やクシュリナを見ることができます。

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2008/06/05

王様の馬車

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王様が乗っていた馬車がタシュハウリ宮殿の中に残されています。1876年にロシアから贈られた馬車で、城壁内では二頭立て、外では四頭立てで使用されていました。

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2008/06/04

タシュハウリ宮殿の道

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クニャアルク(古いお城)があれば、同じ城壁内に新しいお城タシュハウリ宮殿があります。タシュハウリとは石の宮殿を意味し、1836年に造られた後世の宮殿です。城前の道には王様が使った馬車の轍跡が現在もそのまま残されています。

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2008/06/03

ホラズム王国の茶具

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ホラズム王国はアムダリア川の下流に栄え、モンゴル帝国によって滅ぼされてしまった幻の王国です。ヒワの博物館にはこの旅でやっと見つけたチャイハルタのほか、たくさん茶具と思われる展示品がありました。

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2008/06/02

チャイハルタ

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チャイハルタとは昔中央アジアの人たちが腰にさげていた携帯用のお茶の袋を言います。緻密な刺繍がほどこされた巾着型の袋を中央アジアに入ってからずっとさがしていたのですが、たとえたら日本で印籠を探すようなもの、現代の世の中で探すのは難しかったようです。チャイハルタを見つけるのを諦めたころに博物館に展示されているものをようやく見つけることができました。ずーっと昔のものなので使用感がかなりありますが、実物を見ることができた嬉しさのほうが勝るものです。

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2008/06/01

イスラムホジャのミナレット

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イスラムホジャ(1247~1326)はヒワの守護聖人であり、詩人であり、レスラーでもありました。その力の技によってインドに連れ去られたホラズムの人々をとりもどしたということから英雄となっています。ここの井戸水を飲むと幸運になるとか、飲むたびに味がかわるとか言われていることから、飲みに来る人が絶えません。訪れた時もたくさんの子供たちや二組のまさに結婚式中のカップルが飲みに訪れていました。

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2008/05/31

ヒワの織物工房

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ヒワで、草木染めの織物工房を見学しました。糸はザクロ、藍、草を燃やした灰、クルミ、どんぐり、たまねぎ、鉱石などで染め、熱い太陽の光で干します。こちらの人々はとても鮮やかな色を身にまとっていますが、眩しい太陽の下ではそれが似合うのです。

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2008/05/30

ヒワの木工所

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ヒワはホラズム王国の都でした。ホラズムという国は職人さんの技術が高い国だったようで、最近でも家を建てる時やモスクやミナレットなど歴史的建築物の修復もホラズムの職人さんが活躍しています。ヒワ城壁の中にも木工所があり夏休みの子供たちがコーラン台やまな板、ステッキなどを作っていました。

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2008/05/29

クニャアルク造幣局

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前日ご紹介したヒワの王様のモスクの前には造幣局が見られます。17世紀初頭から18世紀頃までつかわれ、昔のコインなどが展示されています。

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2008/05/28

クニャアルク王様のモスク

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ウズベキスタンのモスクやミナレットなどの建築物は1920年のソビエト赤軍による破壊から多くがまぬがれることができませんでしたが、ヒワの町は王様は頭が良く赤軍がやってきた時にすぐに町を解放して抗戦しなかったために保存状態の良いまま現在でもほぼ昔の姿のまま見ることができます。画像は王様のモスクです。中央アジアの王様はみな自分のモスクがありました。

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2008/05/26

クニャアルク謁見の間

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クニャアルクの王様が謁見する場所には玉座の両脇に2本のアイワーン(柱)が建てられています。後方の扉は3つ。右が王様、中央が大臣、左は訪問者が使用しました。

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2008/05/25

ムハマドラヒムハンメドレッセ

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かつてホラズム王国の都だったヒワにあるムハマドラヒムハンメドレッセはムハマドラヒムハンが造ったメドレッセです。彼は40年間も王座にいながら、詩人でもあり音楽家でもあったという多才な王様でした。

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2008/05/24

カリタミナレット

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かつてホラズム王国の都だったヒワにあるカリタミナレットは1855年に当時の王がペルシア遠征中に戦死してしまい建設が頓挫してしまったと伝わる26mのミナレットです。なのでカリタ(短い)ミナレットと呼ばれます。当初はカリヤンミナレットよりも高いミナレットを建造する予定でした。未完には上記以外にもさまざまな事情や説があります。

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2008/05/23

クニャアルク

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クニャアルクのクニャとは古い、アルクは城という意味があります。かつてホラズム王国の都だったヒワには古い城と新しい城があるのです。クニャアルクは17世紀に造られました。入口の4つの窓から王様は処刑を見学したといいます。4つの窓にはそれぞれ影武者が立ち、どこの窓に本当の王様が立っているかわからないようにしたといいます。それは処刑される親族の報復を逃れる工夫でした。広場にあけられた井戸のような穴は首を切った血を流す穴です。

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2008/05/22

ムハマドアミハーンメドレッセ

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かつてホラズム王国の都だったヒワにあるムハマドアミナーンメドレッセは1851~55年にかけてムハマドアミハーンという王様が建てたメドレッセ(神学校)です。今までのメドレッセとは異なり、いきなりバルコニーがあったり、植物図柄が特徴的です。

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2008/05/20

アタダルワザ門

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アタダルワザ門はかつてホラズム王国の都だったヒワの西門で正門にあたります。ホラズム・シャー朝はモンゴル帝国によって滅ぼされるまで中央アジアからイラン高原までを支配下においていた王国です。ウズベキスタンにはブハラハーン、ヒワハーン、コーカンドハーンと3つのハーン国があり、ここはヒワハーン国があった場所です。

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2008/05/19

ヒワ

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ホラズム王国の都だったヒワの誕生にはこんな伝説があります。昔、アラビアからヌクの息子が暑さでふらふらになりながら旅を続けていて、ここで水を飲んだ時あまりの美味しさにヒワーと言ったところからヒワという名前がつけられたという伝説のある町で、城壁2600mの中には本当に物語のような世界が広がっています。

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2008/05/17

アムダリア川

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アラル海にそそぐ大河アムダリア川はソビエト時代の政策でそこから多くの運河が造られました。それによって綿花産業は発展をとげましたが、その反面アムダリア川の水が干上がってアラル海にとどかなくなる時期が生まれてしまうようになりました。その結果、アラル海は急激に縮小化されつつあり近い将来に消滅してしまうかもしれません。産業発展と自然保護を両立させることは難しいことです。

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2008/05/16

チャールミナル

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ブハラの普通の住宅街を入ってゆくと出会えるチャールミナルは1805年にトルクメニスタンの裕福な商人が四人の娘のために建てた建物です。ミナレットはそれぞれ模様が異なります。それは娘さんたちのそれぞれの性格を表したのだとか。

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2008/05/15

チャシュマ・アイ・ヨブ

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チャシマイ・アユブ(預言者ヨブの井戸)はブハラで最も古い遺跡の一つです。聖者ヨブはイスラム、ユダヤ、キリスト教すべての信者に敬われている人物です。伝説ではヨブがこの場所を訪問して、棒で打ったところに泉が湧いたという伝説があり、12世紀に記念の廟が建てられました。

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2008/05/14

イスマイル・サーマニ廟

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ブハラを首都としたサーマーン王朝の設立者であるイスマイル・サマニーは、この廟を892年に亡くなった父親のナスル一世のために建てました。イスマイル(907年逝去)や彼の曾孫ナスルⅡイブン・アハマド(934年逝去)もここに埋葬されています。現存する中央アジア最古の建築物で、建物もゾロアスター教の影響を様式から見ることができます。この建物を反時計回りで3回まわると願いがかなうそうです。チンギスカンからも赤軍からの破壊もまぬがれました。焼きレンガの組合せだけで模様がつくられ、月や太陽の光の加減でさまざまな顔をみることができます。サーマーン朝唯一の遺構で、中央アジア最古のイスラム建築です。

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2008/05/13

バラ・ハウズ・モスク

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バラ(ボロ)・ハウズ・モスクのバラ(ボロ)は小さい、ハウズは池という意味があります。このモスクは40本の柱があるモスクと呼ばれました。実際柱は20本なのですが、池の水がきれいだった時代に水にうつった柱も数えて40本の柱があるモスクと美称されました。

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2008/05/12

ダルビッシュ

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ダルビッシュとは放浪しながら布教をするイスラム教徒のことを指します。日本におきかえればお遍路さんのようなものでしょうか。画像のような服を着て水筒を提げて旅を続けました。

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2008/05/11

アルクのサモワール

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ブハラハーン国の王様が40歳以上の男性に朝あいさつをするサラーム・ハナ(あいさつの部屋)は現在展示場になっています。そこで1810年のサモワールを見つけました。

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2008/05/10

宝物殿のライオン

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歴代ブハラハーン国の王様が謁見した広場の脇には宝物殿があり、その前をライオンの石像が守っています。1920年に赤軍が侵攻してきた際、王様はライオンの後ろの秘密通路からアフガニスタンへ脱出しました。

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2008/05/09

王の謁見場所

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画像は歴代ブハラハーン国の王が城内で謁見した場所です。王様がニコッと笑えば陳情は受け入れられ、表情を変えなければNoということだったということです。王様には背中を見せてはならず、謁見した人は後ろずさって退出しました。

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2008/05/08

王様の礼拝場所

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ブハラのアルクでは、17世紀になると鏡が内装デザインに採り入れられるようになりました。王様の礼拝場所でそれを見ることができます。王様は夏には涼しい外で、冬には暖かい中で礼拝を行いました。

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2008/05/07

パンジャラ

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パンジャラとはイスラムの建築にみられる木製の格子窓をいいます。外から中は見えませんが、中からは外がよく見える仕組みに作られています。イスラム世界では身分の高い女性は外に出ませんでした。このようなパンジャラから外の世界を覗いたのだということです。

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2008/05/06

アルク

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アルクとは王様の住むお城という意味があります。ですから、アルクは各地各時代にたくさんあるわけです。こちらのアルクは3000年前から存在する歴代ブハラハーン国の王様が住んだお城です。昔ペルシアの王子様がここへやってきてお姫様に求婚し、お姫様は王子様に見たことのないものを願い、王子様がこれを建てたという伝説があります。1920年赤軍が攻めてくるまで3000人の人々が仕え住んでいました。赤軍による3日3晩の破壊で現在はその3分の1が残るのみです。

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2008/05/05

カラーン・ミナレット

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カラーン・ミナレットのカラーンは素晴らしいという意味持ち、文字通りブハラを代表するミナレットです。ミナレットは1123年にレンガの組み方だけで模様を造った48mものミナレットです。ミナレットには当時複数の目的がありました。アザーンという礼拝の呼びかけ、旅をする人のための灯台の役割、そして処刑台の役割。イスラムの法律では女性は斬首することができなかったので、女性が罪をおかした際にはミナレットからつきおとされることがありました。このミナレットは東からやってくると2日前から塔が見えたといいます。チンギスカンも壊すことができなかったミナレットですが、1920年にソビエト赤軍の空爆で一部破壊されてしまいました。

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2008/05/04

ミリ・アラブ・メドレッセ

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ミル・アラブ・メドレッセはカリヤンミナレットとモスクの前にあるメドレッセ(神学校)です。イエメンから来た聖職者が設立したもので、ソビエト時代でも活動していた数少ない位の高い神学校でした。

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2008/05/03

カラーン・モスク

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カラーン・ミナレットとともにあるカラーンモスクは4000人収容できるモスクです。カラーンとは素晴らしいという意味のほかにタジク語で大きいという意味を持っています。ソビエト時代は駐車場に使われてしまっていましたが、現在はラマダン明けなど特別な時に使われ、本来の役割を果たせるようになりました。

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2008/04/30

ウルグベクのメドレッセ

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たくさんモニュメントを残すことが権力者の証ならば、ティムールもティムールの孫ウルグベクもたくさんの建築を行いました。ブハラにもウルグベクのメドレッセがあります。このメドレッセは15世紀、アラビアンスタイルで造られました。扉には“知識の追求はすべてのイスラム教徒の男性女性の義務である”というウルグベクの言葉が彫られています。

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2008/04/29

コシュ・メドレッセ

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ウズベキスタン、ブハラにあるコシュ・メドレッセは17世紀にアブドラアジズハーンが建設したメドレッセで彼は完成を見ることなく途中で亡くなってしまいました。コシュとはお互いに向き合っているという二つのメドレッセを意味します。建設はペルシャスタイルです。二つのメドレッセの建設時期が25年ぐらい離れているため建築スタイルにも違いが見えます。一番大きいのは片方にはタイルがはってあるのに、もう片方にはタイルがはられていないということでしょうか、これは違いというより片方が未完のメドレッセです。

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2008/04/24

マゴキ・アッタル・モスク

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マゴキ・アッタル・モスクは12世紀に建てられたブハラ最古のモスクです。半分地中に埋まっていたので16世紀には上に別に入口があったそうです。地中にかくれているとか、魔術とか、良い香りがするという意味を持つモスクです。奥に入ってゆくと、古い地層からゾロアスター教の名残を見ることができます。

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2008/04/21

ブハラの刺繍

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黄金糸で刺繍するスザニはどうやら古都ブハラの特産なのだと思われます。おみやげ物屋さんの店先で黄金色の刺繍をよく見かけました。画像はサイフッティーンキャラバンサライの前で刺繍していた職人さんの写真です。

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2008/04/19

ナディール・ディバンベキのハナカ

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ハナカとは巡礼者の宿のことを言います。ハナカの管理は国が行い巡礼者は無料で泊まることができました。厚い壁で夏涼しく冬暖かい構造になっています。ナディール・ディバンベキはブハラ・ハーン国の宰相で、このナディール・ディバンベキのハナカは1620年に彼が造ったものです。

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2008/04/12

ナディール・ディバンベキ・メドレッセ

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ナディール・ディバンベキ・メドレッセは16世紀にブハラ・ハーン国の宰相がキャラバンサライ(隊商宿)として建設しましたが、メドレッセ(神学校)になったものです。イスラム教のメドレッセには珍しくフェニックスが豚をつかまえて舞い上がる図が描かれていますが、それはそういう経緯とゾロアスター教の影響があると考えられます。

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2008/04/02

コクグンバズモスク

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ウズベキスタン、ティムールの生まれ故郷であるシャフリサブスに孫のウルグベクが14世紀に建てたモスクです。インドあたりから連れてきた職人たちに造らせたモスクはペイントによる花木の柄が特徴です。

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2008/03/31

ジャハンギール廟

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ジャハンギール廟はティムールが26才の若さで落馬死した息子ジャハンギールのために建てた廟です。征服したアルメニアやグルジアから職人を連れてきて造らせたので屋根がちょっと教会のようにとがっているところが特徴です。内装はペイントで、ニシャ(モスク内装の蜂の巣のような部分)は当時のままのオリジナルです。

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2008/03/28

アクサライ宮殿

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ティムールが造らせたアクサライ宮殿はティムールが征服して連れてきたホラズムの人々が25年近くかけて建造した城です。かつては2つの建物は3つのアーチでつながっており、屋上にはプールまであり、現在でもどうやって水を運んだのか謎とされています。両方の建物に白い文字で“王はアラーの影である”という言葉が入れられる予定でしたが、職人が間違えて片方に“王は影である”と入れてしまい、ティムールの怒りをかったという逸話が残されています。このような美しい建物が広場のほうまで並んでいたことを14世紀頃ここに泊まったスペインの外交団が詳細に記録に残しています。

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2008/03/26

座りたかった

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中央アジアとイランでかなり良く見かけた靴を脱いで座るタイプのお座敷(名前を知っている方がいらっしゃったら教えて欲しいです)といったらよいのでしょうか、ここで最初はお茶したくてたまりませんでした。旅を続けて行くうちに疲れも手伝っって、これも珍しくなくなって‥、飽きてくるようになると、靴を脱ぐのも面倒になって‥、新鮮だったころが懐かしく思い出されます。

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2008/03/24

サマルカンドのバザール その1

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シャーブ・バザールはビビハムニモスクと隣接している大きなバザールです。人が集まるモスクにはバザールは必ずといって良いよどついてきます。たくさんお店があるので、その町の様子を知るうえでとても役にたってくれます。画像は興味深かったお茶屋さんと不思議なメロンをのしたようなゼリー?を売っていた感じの良いおじいちゃんと孫です。

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2008/03/23

ビビハニムモスク

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ビビハムニとは中国から嫁いできたティムールが寵愛した何番目かの妃の名前です。彼女のために建てられたのがこの中央アジア最大のモスクです。モスクの前に置かれた大きなコーラン台は三回まわると願いがかなうとか、女性がその下をくぐると子供が授かるなどといわれています。

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2008/03/21

黄金の廟

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この黄金の部屋の中央の小さな黒っぽい墓標の下にティムールは眠っています。亡くなったらティムールの足元に眠ることを希望した孫のウルグベクの墓標もあります。一番大きな墓標はティムールの先生のものです。

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2008/03/19

グルエミル廟

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グルエミル廟のグルとは墓、エミルとは王族、つまりグルエミル廟は王族の墓です。ここにはティムール、二人の息子、二人の孫、先生が眠っています。もとはティムールの孫ムハマドスルタンが造ったメドレッセでしたが、彼がペルシアで戦死したことからティムールが彼のお墓にしました。1405年2月オトゥラルで亡くなったティムールは烈しい雪の為生前の遺言である生地に葬られることがかなわず、サマルカンドのこの廟に葬られました。

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2008/03/16

サマルカンドブルー

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“青の都”“イスラム世界の宝石”“東方の真珠”などさまざまな異名を持つサマルカンドはシルクロードの中心的存在でありつづけました。空の青より美しいと言われたサマルカンド・ブルーは深く心に残っています。

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2008/03/15

イスラム建築に残るゾロアスター教

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見事な美しいタイルの廟が連なるシャーヒ・ジンダ廟はイスラム風建築ですが、そこに一部イスラム教に駆逐されたゾロアスター教の面影を見ることができます。壁のタイルの紋様はゾロアスター教の4つのシンボル(空気・水・土・火)、そしてまた輪廻を表しています。

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2008/03/14

クラム・イブン・アッバース

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シャーヒ・ジンダ廟のシャーヒ・ジンダには永遠に生きる王という意味があります。王族の廟群だからこの名前が付けられたのではなく、クラム・イブン・アッバースが眠るゆえに付けられた名称です。クラム・イブン・アッバースはマホメッドのいとこで、この地で頭を切られて死んでしまいますがその頭を自分で拾ったという聖人です。最も奥にある彼の廟を3回お参りに行けばメッカ巡礼に匹敵するということで、それゆえにイスラム教信者のお参りが絶えません。

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2008/03/13

シャーヒ・ジンダ廟 その2

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シャーヒ・ジンダ廟を訪れる方は階段が何段あるか数えながら階段をのぼってください。上った時、下りた時の段数が同じならば、幸せになれます‥って、当たり前じゃないですか?ティムールの一族以外、預言者ムハマドのいとこクサム・イブン・アッバースの廟もあります。も、というよりもこちらの方がメインです。アッバースは、首を斬られた後、その首を自ら持って井戸に飛び込み、永遠の命を得たと伝えられています。そのためシャーヒ・ジンダ(生ける王)と言われるのです。ここを二度礼拝すれば、メッカに一度行ったことになるとされることから、礼拝者があとをたちません。

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2008/03/12

シャーヒ・ジンダ廟 その1

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シャーヒ・ジンダ廟はティムールの一族が眠る墓群です。ティムールやティムールの息子や孫はまた別の場所に眠っていますが、姉妹や奥さんたち、ティムール帝国に仕えた将軍などがここに眠っています。最奥に続く一本の道の脇に青い廟がずらっと立ち並ぶ光景は圧巻です。ティムールの廟よりも観光客が多いのはこの華やかさもありますが、最大の理由は別のところにあります。それは何でしょうか?それはこれからわかっていただけます。

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2008/03/11

ウルグベグの天文台

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天文台設置における三条件をご存知でしょうか?資金力、ロケーション、30年間の観測記録がその三条件です。40年間も帝国の王座についていたティムールの孫であるウルグベク(1394~1449)には可能なことです。チョルパンアタの丘に建てられた天文台は1018もの新星を発見しましたが、どのような方法で発見したかは残されませんでした。天文台の観測で一年間の時間を一分以内の誤差でほぼ正確に計算されていたことも、その天文台の驚くべき水準の高さを物語っています。現在ここに残っているのは基礎と地中に埋まっている六分儀のみです。

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2008/03/10

紀元前7世紀のフレスコ画 その2

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紀元前7世紀に描かれたフレスコ画の人々がソグド人であることはそこに書かれたソグド文字からわかりました。

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2008/03/09

紀元前7世紀のフレスコ画 その1

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アフラシアブの丘では裕福なソグド人のフレスコ画が発見されました。サマルカンドの前身であるマラカンダの繁栄は商才と工芸技術に長けたソグド人が担っていました。

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2008/03/08

サマルカンドのおもちゃ

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タシュケント工芸博物館でも不思議な動物のテラコッタを見ましたが、チンギスハーンによるモンゴル帝国に破壊される以前のサマルカンドが眠るアフラシアブの丘に建つ博物館でもテラコッタが多く発見されました。

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2008/03/07

サマルカンドのゾロアスター教

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西南アジアではイスラム教が入ってくる以前、ゾロアスター教が深く信仰されていました。遺跡やモスクにゾロアスター教の印を見ることができます。

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2008/03/06

BC2世紀のレンガ

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アフラシラブ丘から見つかったかつてのサマルカンドの遺跡。紀元前のものなのにレンガひとつにも工房のマークがついています。

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2008/02/27

ウルグベグ

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ティムールの孫ウルグベグ王は聡明な王として、かつ天文学者としても人々から尊敬を集めました。しかし、その人徳があだとなり、愚鈍な息子に王位を譲ろうとしなかった為、王位継承問題がこじれて息子アブドラ・ラティークに殺されるという悲劇的末路を遂げました。

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2008/02/26

ウルグベクメドレッセ

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ウルグベクメドレッセはティムールの孫ウルグベグが建てたメドレッセ(神学校)です。ウルグベグは王でありながら、天文学者でもありました。天文学に精通したウルグベクらしくメドレッセには星が描かれています。

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2008/02/25

ティリャカリメドレッセ

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ティリャカリメドレッセのティリャカリとは黄金がはられたという意味があります。かつてキャラバンサライだったこの建物は1660年に建てられたと聞きました。

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2008/02/23

ウズベキスタンの楽器 その2

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桑の木と牛の心臓を使ったタール、七十五弦のチャーン、竹製のナイ、牛の皮のドイラです。

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2008/02/22

ウズベキスタンの楽器 その1

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桑の木と魚の皮を使ったフルバ、二弦のドッタ、ダンブル、新しい楽器ハムロです。

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2008/02/12

茶器だったかもしれません

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タシュケント歴史博物館でみつけた茶器にみえる器です。茶器と水器はとてもよく似ていたり、用途がほぼ同じなので見分けがつきません。急須とやかんのような関係です。

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2008/02/08

ソグド人の遺産

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利があるところならばどんな所にでも行くと言われたソグド人、中国では彼らのことを商胡(商売に秀でている胡人)とよんでいました。かつて中央アジアにソグド人は暮していましたが、シルクロードを旅をしたソグド人の記録はそれほど多くありません。

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2008/02/07

ゾロアスター教の遺産

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唐の時代、シルクロード交易に中心的役割を果たした商人はソグド人が多くを占めていました。ソグド人の信仰の対象がゾロアスター教(拝火教)でした。ゾロアスター教は火・水・空気・土を神聖化しているため遺体を土葬したり火葬したりすることができず、鳥葬が行われ、鳥が残したものは画像のようなオスワリ(骨壷)にいれられました。

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2008/02/05

ソグド人

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シルクロードの交流において古代最も活躍した民族は商才にたけたソグド人です。ソグド人は子供が生まれると手に膠(にかわ)、口に蜜を塗る習慣があり、そこには甘い言葉で商売を有利にすすめ、手にしたお金を離さないように育って欲しいという願いがこめられていたと言います。唐の時代には商胡(商売上手な胡人という意味でしょうか)と呼ばれ、西安には多くのソグド人がコミュニティを形成していました。

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2008/02/04

タシュケント歴史博物館

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1999年、イスラム原理主義に対して厳しい姿勢をとっていたカリモフ大統領に対して大統領暗殺未遂事件が大統領府前で起こりました。大統領は時間に少し遅れたために一命はとりとめましたが、爆風で大統領府の向かいにあった歴史博物館が破壊され、歴史博物館は2~3年前まで閉鎖されていたとのことです。歴史博物館は撮影料を支払えば撮影可能ですので、三脚をぜひ持って行くことをおすすめします。

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2008/02/03

プカルダスメドレッセ

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プカルダスメドレッセでは、カリグラフィーアートを見学することができました。日本で言う宮大工のような人々がこのようなカリグラフィーを建築物にほどこしたりするようです。

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2008/02/02

カリグラフィーアート

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文字そのものが芸術表現の一つになったカリグラフィーは書体、幾通りもの様式が用いられています。絵のように見えるものもアラビア語の組み合わせなのです。東アジアの書道は毛筆を使いますが、アラビア式書道ともいえるカリグラフィーは葦や竹で作られた筆を使います。イスラム教の偶像表現禁止が原因となりそのような装飾美術が生まれました。イスラム建築の多くにもそれを見ることができます。

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2008/02/01

イスラム図書館

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タシュケントのイスラム図書館には世界最古のコーランの一部が収められています。世界最古のコーランは最初の5ページはイスタンブール、それ以外はこちらと、大英博物館、サウジアラビアにそれぞれ保存されています。鹿皮に樹液で書かれたものです。

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2008/01/30

カハリシャーシ廟

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イスラム教建築に用いられる文様は主に幾何学模様と植物模様です。動物の図は宗教的に用いられません。カハリシャーシ廟は9世紀に亡くなった聖人の廟で16世紀に造られました。死者は頭を陽の沈む方向、顔をメッカの方向にむけて寝かされます。わざと入口が低く造られているのは中で中の聖人に敬意を払うためです。

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2008/01/29

タシュケントのジュマ教会

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ジュマとは金曜礼拝を意味し、休日に金曜礼拝する教会はすなわちジュマ教会と呼ばれる教会はたくさんあります。タシュケントにもひとつの新しく立派なジュマ教会のすぐ近くに古いジュマ教会がありました。イスラム教では礼拝は金曜日です。教会の扉の横には5つの時計があります。それはそれぞれの礼拝時間を指しています。礼拝時間は国や町によって太陽の運行が違うのでイマーム(イスラム聖職者)が時間を決めるのだそうです。

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2008/01/28

マラクハーンメドレッセ

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メドレッセとはイスラム教の神学校を意味します。学生はメドレッセで学んでイスラム聖職者イマームになります。メドレッセではコーランの他にアラビア語、地理、天文学、コンピュータなど総合大学と変わらない勉強をします。

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2008/01/22

工芸博物館のガラス

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権力のある者がいろいろな所から職人を呼び寄せて建物や作品を造らせるということは、ティムール帝国の昔からやっていることです。ガラス細工もウズベキスタンの伝統工芸です。

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