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2008/10/31

ナクシェ・ラジャブ

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ペルセポリスから北西に5km、少し車を走らせたところに、かつてラジャブさんのチャイハネだったところにナクシェ・ラジャブはあります。ナクシェ・ラジャブとはラジャブのレリーフとか壁画という意味で、そこにはササン朝時代のレリーフが岩壁を飾っています。アルデシール一世の戴冠図では、神がざくろの木の杖を持って王冠をアルデシール一世に渡しています。後ろにひかえているのは高官とゾロアスター教の最高指導者、そしてなぜか離れたところにお妃が描かれています。シャープール一世の戴冠図はシャープール一世(右)が馬に乗って、まさに王冠(王権)を受け取ろうとしているところが描かれています。シャープール一世のローマ遠征図は六人の将軍と共に描かれています。ここには古代ペルシア語で右から左にシャープール一世の偉業が書かれているのを見ることができます。

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2008/10/30

ノマド

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ペルセポリスから二ヶ所のナクシェ(レリーフ)へ向かう途中の草原で、ノマド(遊牧民)のテントを見つけました。車に向かって手をふってくれた家族のテントの後ろでは子羊ちゃんたちがスヤスヤ眠っておりました。

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2008/10/29

イランの子供たち その2

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この子の写真を撮らせてくださいとお願いすると、お母さんは嬉しそうに子供をカメラのほうに向けてくれます。お母さんのほうが良い笑顔でうつっていることがしばしば。無理な体勢でカメラに向けられた子供はちょっと不機嫌な顔になってしまっていることも。まぁ、それも微笑ましいことです。

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2008/10/28

ペルセポリス その7

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ペルセポリスを見下ろす斜面にアルタクセルクセス2世のお墓があります。劇場のような舞台の階段を上ると大勢の人々が王座を持ち上げている大きなレリーフがあり、その下奥でペルセポリスを見守るかのように王様が永遠の眠りについています。ペルシャ帝国では捕虜でも奴隷として扱われることなく、お給料があり、作った作品にサインをいれることができました。他国の捕虜がさまざまな文化を伝え、さらなる発展に寄与しました。

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2008/10/27

ペルセポリス その6

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ペルセポリス謁見の間に続く東階段のレリーフ、23ヶ国の民族がメディア人とペルシア人の案内人に導かれて朝貢する姿に比べ、レリーフの中のペルシア人はワインを手に持っていたり、後ろを振り返ったり、人としゃべったり、笑顔でくつろいだ様子が描かれています。

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2008/10/26

ペルセポリス その5

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王様のプライベートパレスやハレムの階段に彫られたレリーフは王族の近くで働いていた召使(宦官)がいろいろな物を運ぶ姿が描かれています。クセルクセスの宮殿は木造なのでアレキサンダー大王の軍がやってきた際に燃やされてしまいました。クセルクセス1世の門はアレキサンダー大王軍が一番最初に火を放った場所とされています。像は黒こげになっており、装飾の宝石がくりぬかれて穴だらけになってしまっていました。

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2008/10/25

ペルセポリス その4

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春を祝うペルセポリスにはたくさんの民族が朝貢に訪れました。それが描かれているのはアパダーナ(謁見の間)に続く東階段のレリーフです。エチオピア人はキリンや象牙を、リビア人はアイベックス(馬)を、アラブ人はラクダを、スキタイ人(サカ族)は織物と馬を、ソグド人は汗血馬を、インド人は天秤にスパイスを、パルティア人とヒッタイト人はふたこぶラクダを、エラム人はライオンを、メディア人はズボンと織物を、アッシリア人は羊を、レバノン人は金の腕輪を献上しました。

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2008/10/24

ペルセポリス その3

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ペルセポリスのいくつかの大柱に描かれた日傘をさした王様の図はアケメネス朝ペルシアを充分に表しています。従者に日傘をさしかけられた王様の下にはそれをささえるたくさんの人々が、王様の頭上にはアケメネス朝の魂が描かれています。

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2008/10/23

ペルセポリス その2

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ペルセポリスでは王の象徴であるライオンの彫刻があちこちに描かれています。ライオンは善、春、王を、獣は悪、冬、敵を表しています。冬をたおして春をむかえる図です。紀元前500年頃も汚れた所でも綺麗な花を咲かせる蓮花は聖なる花でありました。この図が彫られた階段がイスラム教のミフラブ(説教台)の元となった天国への階段へとつながってゆきます。


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2008/10/22

ペルセポリス その1

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イランが誇る世界遺産の中の世界遺産、ペルセポリスはギリシア語で“ペルシア人の都”という意味をもつペルシア帝国が残した遺産です。紀元前512年アケメネス朝ペルシア、ダレイオス1世から始まりクセルクセス1世が完成させた春(新年)を祝う儀式のための建造物です。大階段の一段一段がそれほど高くないのは当時のペルシア人が裾の長いローブのような衣装を着ていたためです。大階段を上りきると人面有翼獣神像のクセルクセス門(万国の門)が訪れた人を迎えてくれます。像は残念ながら顔、特に目がつぶされてしまっていました。

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2008/10/21

バードギール

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土で塗り固められたドーム型の屋根の間から長い煙突のような塔がたっています。このような塔をバードギールと言い、上空の冷たい空気を取り入れる通風口の役割をしています。昔の人の生活の知恵が今も生きています。

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2008/10/20

パサルガダエ

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パサルガダエとはファールス(ペルシアの語源)の地という意味を持つキュロス大王が建国したアケメネス朝の首都の遺跡です。ペルセポリスに比べると残っている遺跡はわずかですが、イラン建国の父とされているキュロス大王が残した遺跡はその偉業から世界遺産になっています。ダレイオス一世の時代になると、都の機能はペルセポリスへと移ってしまいましたが、歴史的意義の大変深い場所だという事実は変わることありませんでした。その後もずっと歴代の王が戴冠式を行う場所でした。人の足が写っている画像で、魚尾のようなズボンを履いている人の足を見ることが出来ますが、これはパンツを発明した民族であるメディア人のものです。騎馬民族らしい発明品です。すその長い着物にサンダル姿はペルシア人です。

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2008/10/19

キュロス大王墓

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自ら戦争をしかけることなく当時の世界で一番大きな帝国(ペルシャ帝国)を造りあげたキュロス大王は支配下においた他民族の人権を重んじ各民族の宗教を認め崇めたことから他国民からも“偉大な”と称えられました。王自ら戦いに参加したことから兵士の人望も厚く、士気も高かったのですが、東方遠征後まもなく今のパキスタンで亡くなりました。亡くなった所からこちらに運ばれたという報告は不明で、アレキサンダー大王がこの地に来た時には王墓は空だったといいます。キュロス大王の石棺が収められていた墓は7層になっています。これは天国までの階段を現しています。ユネスコがここを世界遺産にした所以は人権を大切にし、グローバリズム化を図ったキュロス大王だったからだといいます。

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2008/10/18

キュロス大王

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紀元前550年アケメネス家のキュロスはメディア国を破りアケメネス朝ペルシアを樹立、その後10年ほどでエジプトを除くオリエントを支配する世界帝国を樹立しました。キュロス大王は人権を重んじ、バビロニアを攻撃した時には捕囚されていたユダヤ人を解放、さらに征服した人々の文化習慣を認めたことによって人々の人気を得ました。後に王の道とよばれる道路網を整備し各地をサトラップ(知事)に治めさせ中央集権体制を整えました。パサルガダエにのこる石碑には三つの言語(ペルシア語、エラム語、新バビロニア語)でこう書かれています。「我はキュロス、偉大なる王である」

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2008/10/17

糸杉

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シルクロードの支線アルバクに樹齢4000年をこえる糸杉が立っています。直径18.5m、高さ25mのこの糸杉の周囲は水たまりのようになっていて普段は木まで近づけませんが、この日は多少ぐちゃぐちゃしていましたが幹のそばまで行けました。木の周りでは昼寝やピクニックをしている人がいました。

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2008/10/16

ガナート(カレーズ)

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モスクの中庭には一般的に体を清められるような水場があります。水が大変豊かなヤズドのこのジュマモスクの水場は地下にありました。ガナート(カレーズ)とよばれる地下水路による貯水システムはペルシアでは2400年前アケメネス朝ペルシアの時代から存在しているものです。山の水脈に竪穴式井戸を掘り、それをつないで流すシステムです。中国の新疆ウイグル自治区にもカレーズがあります。清の時代、トルファンのカレーズは二千年の歴史を有すると記録されていたということです。

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2008/10/15

『幸せの絆』(暖春)

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今月10月の現代中国映画上映会は、10月25日(土曜日)午後6時55分より『幸せの絆』(暖春)を上映いたします。大々的に公開された映画ではないので劇場で見忘れた方が多いかと思います。山村に住み貧乏で字も読めないおじいさんが両親を亡くした後虐待されて生きてきた少女に与える深い愛情の物語です。

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2008/10/14

ジュマモスク

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イランにもジュマモスク(金曜モスク)とよばれる、人々が金曜日(イスラム圏では金曜日が休日です)に礼拝に訪れるモスクが当然ありますが、こちらのモスクはお祈りの番組でテレビに映される皆が知っているモスクです。57mのミナレットを持つ14世紀に建てられた建築物です。

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2008/10/13

ゾロアスター教拝火寺院

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ヤズドにはゾロアスター教拝火寺院がいくつかありますが、訪れたゾロアスター教寺院では1500年以上(470年から)絶やされたことがない聖火をガラスごしに見ることができました。ゾロアスター教徒はササン朝ペルシア時代の白い服を着ているのだそうです。不浄を避けるため、こちらにはトイレなどありませんので、お立ちよりの際は、トイレをすませてから参拝しましょう。

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2008/10/12

ヤズドの風呂敷

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ヤズドのバザールで日本の風呂敷に似た大きさの布を見つけました。これはヤズド独特のもので、主にナンを包むために使われるものです。布で物を包む文化は今でもある地域で時おり目にすることができます。

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2008/10/11

ヤズド名物

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ヤズドの沈黙の塔にはロバをひいた名物おじいちゃんがいます。どこから見ているのか、旅行者が沈黙の塔に登って帰るところに必ずロバを引いて現れ、一緒に写真を撮るということを生業としているらしいのです。ヨーロッパの旅行ガイドにはこのおじいちゃんのことがけっこう紹介されているらしく、ちょっとした有名人です。実際、出口のところに本当に立っていたおじいちゃんとロバを見つけた時はちょっと嬉しかったです。

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2008/10/10

沈黙の塔

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ヤズドはゾロアスター教(拝火教)の聖地ともいうべき地です。ゾロアスター教は火(光)、水、大地、空気を神聖なものとし、それらを汚すことになる火葬や土葬を嫌いました。そのためゾロアスター教徒は亡くなると風葬や鳥葬によって葬られました。沈黙の塔はゾロアスター教徒の遺体が風葬・鳥葬にされた場所です。

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2008/10/09

アシュラの祭

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アシュラの祭とは681年3代目イマームであったホセインがウマイヤ朝軍に一族72名とともに虐殺された日を偲ぶ日です。自分の胸を打ち(スィーネ・ザニー)、鎖で背中を打って(ザンジール・ザニー)同じ苦しみを感じ、ホレストグレメー(羊、豆、トマトの煮込みスープ)を作って人々にふるまいます。祭の際に百人以上が担ぐという燃える火のような形をしたナフル(日本でいう山車のようなもの)がアミール・チャクマクの広場に置かれていました。

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2008/10/08

アミール・チャクマクのタキエ

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ヤズドのアミール・チャクマクのタキエのタキエとは寺院、バザール、広場を含む複合施設のことを指します。アミール・チャクマクは総督の名前です。15世紀に造られた寺院の上からは市内を一望することができます。

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2008/10/07

ヤズド

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マルコポーロも訪れたというヤズドはアケメネス朝ペルシア、ササン朝ペルシア時代に国教だったゾロアスター教の信者が現在でも暮らしている町として有名です。バザールの屋上から眺めた日干しレンガの上から土で塗り固められた古い町並みはその時代を彷彿とさせるものがありました。

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2008/10/06

スィー・オ・セ橋

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アッバース1世の時代、1602年に造られたスィー・オ・セ橋(33橋)は橋のアーチが33あることからその名が付けられました。橋のかかるザーヤンデ川にはこのような橋がいくつもかかり、橋の下にはチャイハネがあります。時間があれば寄りたかったです。

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2008/10/05

ゾロアスターの卍

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昔イスファハンの中心地だった場所にたつジュマモスクは拝火教神殿を改造して造られたモスクです。10世紀から17世紀にかけて、そして最近はイランイラク戦争によって改修されました。このモスクではイスラムのドーム初期の様子や卍柄からゾロアスターの影響を見ることができます。

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2008/10/04

イスファハンのジュマモスク(金曜モスク)

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昔イスファハンの中心地だった場所にたつジュマモスクは画像のように入口にたらした鎖はラクダや馬が中に入らないようにするためのものです。ロウソクたてはこの中に二本のロウソクが立てられるようになっています。ロウソクの灯火は二つの目、その下に長いひげ、イスラム神秘主義スーフィー教聖職者の顔を現しています。

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2008/10/03

イラン式お茶の飲み方

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イランでは熱い紅茶を受け皿にうつしかえて飲む習慣があります。これだと確かにお茶が冷めるのが早いです。おじさんにすすめられて、その受け皿飲みを試させてもらって実感しました。

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2008/10/02

イスファハンのお茶屋さん

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イランの茶葉生産地はカスピ海沿岸地方です。カスピ海沿海は豊かな農業生産地で、そこでは米なども作られています。イランの農産物自給率は80%、ただお米は自国のものよりもパキスタンから輸入しているもののほうが安価です。イランでは紅茶ばかり飲んでおりましたが、それがイラン産かどうかはさだかではありませんでした。

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2008/10/01

『ファン・ジニ』

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実在したファン・ジニという妓生の激動の人生を描いた映画、『ファン・ジニ』を見ました。本当に良かったです。ユ・ジテが。登場するだけで目がはなせないほど存在感がありました。先週はカン・ドンォンの舞台挨拶を見に行ってしまいましたが、この秋は韓国映画をたくさん見そうな予感がします。

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