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2008/03/31

ジャハンギール廟

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ジャハンギール廟はティムールが26才の若さで落馬死した息子ジャハンギールのために建てた廟です。征服したアルメニアやグルジアから職人を連れてきて造らせたので屋根がちょっと教会のようにとがっているところが特徴です。内装はペイントで、ニシャ(モスク内装の蜂の巣のような部分)は当時のままのオリジナルです。

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2008/03/30

ハズラティーマームモスク

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ハズラティーマームモスクは1370年に建てられたジュマモスクです。巨大な大柱をアイワーンといいます。モスクの前にある古樹は樹齢600年をゆうに数えます。

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2008/03/29

休日の広場

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ティムール生誕の地シャフリサビスの広場にはティムールの立像が建ち、後方にはアクサライ宮殿が聳えています。中央アジアではどこの広場でもそうでしたが、休日となるとなぜかみなタキシード、ウエディングドレス姿で広場へやってきます。ここも例外ではありませんでした。

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2008/03/28

アクサライ宮殿

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ティムールが造らせたアクサライ宮殿はティムールが征服して連れてきたホラズムの人々が25年近くかけて建造した城です。かつては2つの建物は3つのアーチでつながっており、屋上にはプールまであり、現在でもどうやって水を運んだのか謎とされています。両方の建物に白い文字で“王はアラーの影である”という言葉が入れられる予定でしたが、職人が間違えて片方に“王は影である”と入れてしまい、ティムールの怒りをかったという逸話が残されています。このような美しい建物が広場のほうまで並んでいたことを14世紀頃ここに泊まったスペインの外交団が詳細に記録に残しています。

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2008/03/27

シャフリサビス

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シャフリサビスは南に行くとインドへとぬけられるためアレキサンダー大王などが通った重要なシルクロードの要所の一つで、ティムールの故郷としてかつてはサマルカンドよりも栄えました。また現代ではサマルカンドからシャフリサビスの道はソ連がアフガニスタンに侵攻して多くの悲劇を生みました。現在シャフリサビスの町はティムール帝国の遺跡が残るティムールの生まれ故郷として世界遺産に登録されています。シャフリサビスにはティムールの一族に縁のある宮殿、モスク、廟が残されています。

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2008/03/26

座りたかった

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中央アジアとイランでかなり良く見かけた靴を脱いで座るタイプのお座敷(名前を知っている方がいらっしゃったら教えて欲しいです)といったらよいのでしょうか、ここで最初はお茶したくてたまりませんでした。旅を続けて行くうちに疲れも手伝っって、これも珍しくなくなって‥、飽きてくるようになると、靴を脱ぐのも面倒になって‥、新鮮だったころが懐かしく思い出されます。

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2008/03/25

サマルカンドのバザール その2

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ビビハムニモスクと隣接しているシャーブ・バザールでは中央アジアではスープの上に必ずと言って良いほど浮いていたリルの正体と、マルコフと現地で呼んでいる黄色いニンジンをお勉強できました。

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2008/03/24

サマルカンドのバザール その1

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シャーブ・バザールはビビハムニモスクと隣接している大きなバザールです。人が集まるモスクにはバザールは必ずといって良いよどついてきます。たくさんお店があるので、その町の様子を知るうえでとても役にたってくれます。画像は興味深かったお茶屋さんと不思議なメロンをのしたようなゼリー?を売っていた感じの良いおじいちゃんと孫です。

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2008/03/23

ビビハニムモスク

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ビビハムニとは中国から嫁いできたティムールが寵愛した何番目かの妃の名前です。彼女のために建てられたのがこの中央アジア最大のモスクです。モスクの前に置かれた大きなコーラン台は三回まわると願いがかなうとか、女性がその下をくぐると子供が授かるなどといわれています。

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2008/03/22

ティムールの墓

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ティムールのネクリットは一度ペルシアにもちさられてしまいましたが、そこで悪いことが起こったためもどされたといいます。さらにソビエトによって墓があばかれましたが、その時ドイツがソビエトに侵攻するというバルバロッサ作戦が起こった為、鉛で封印されてもどされました。

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2008/03/21

黄金の廟

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この黄金の部屋の中央の小さな黒っぽい墓標の下にティムールは眠っています。亡くなったらティムールの足元に眠ることを希望した孫のウルグベクの墓標もあります。一番大きな墓標はティムールの先生のものです。

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2008/03/20

王座の下の台座

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グルエミル廟では、王族のお墓のほかにティムールの王座の下にあった台座、ビビハニムモスクにあった礼拝者が体を清める水瓶とコーラン台も見ることができます。どうしてここに置いてあるのかは、昔ここに王宮があったからなのです。

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2008/03/19

グルエミル廟

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グルエミル廟のグルとは墓、エミルとは王族、つまりグルエミル廟は王族の墓です。ここにはティムール、二人の息子、二人の孫、先生が眠っています。もとはティムールの孫ムハマドスルタンが造ったメドレッセでしたが、彼がペルシアで戦死したことからティムールが彼のお墓にしました。1405年2月オトゥラルで亡くなったティムールは烈しい雪の為生前の遺言である生地に葬られることがかなわず、サマルカンドのこの廟に葬られました。

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2008/03/18

リル

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中央アジアの食事は前菜、スープ、メイン、フルーツ、お茶という順番で出てきます。そしてそのスープにかなりの確立で浮かんでいたのがリルという中国や東南アジアでいう香菜(パクチー)のようなハーブでした。どのような効能があるのかわかりませんが、きっと香菜と同じような働きをしているのだと思われます。


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2008/03/17

ポークケバブ

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ケバブといえば、ほぼ羊の肉が定番だと思ってました。カバブは焼き物で、チキンもあればフィッシュ、そして野菜もあると後に気づきます。でも、この時は初めてのラム以外のケバブだったので、おぉ~と感動してしまったのでした。

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2008/03/16

サマルカンドブルー

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“青の都”“イスラム世界の宝石”“東方の真珠”などさまざまな異名を持つサマルカンドはシルクロードの中心的存在でありつづけました。空の青より美しいと言われたサマルカンド・ブルーは深く心に残っています。

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2008/03/15

イスラム建築に残るゾロアスター教

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見事な美しいタイルの廟が連なるシャーヒ・ジンダ廟はイスラム風建築ですが、そこに一部イスラム教に駆逐されたゾロアスター教の面影を見ることができます。壁のタイルの紋様はゾロアスター教の4つのシンボル(空気・水・土・火)、そしてまた輪廻を表しています。

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2008/03/14

クラム・イブン・アッバース

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シャーヒ・ジンダ廟のシャーヒ・ジンダには永遠に生きる王という意味があります。王族の廟群だからこの名前が付けられたのではなく、クラム・イブン・アッバースが眠るゆえに付けられた名称です。クラム・イブン・アッバースはマホメッドのいとこで、この地で頭を切られて死んでしまいますがその頭を自分で拾ったという聖人です。最も奥にある彼の廟を3回お参りに行けばメッカ巡礼に匹敵するということで、それゆえにイスラム教信者のお参りが絶えません。

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2008/03/13

シャーヒ・ジンダ廟 その2

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シャーヒ・ジンダ廟を訪れる方は階段が何段あるか数えながら階段をのぼってください。上った時、下りた時の段数が同じならば、幸せになれます‥って、当たり前じゃないですか?ティムールの一族以外、預言者ムハマドのいとこクサム・イブン・アッバースの廟もあります。も、というよりもこちらの方がメインです。アッバースは、首を斬られた後、その首を自ら持って井戸に飛び込み、永遠の命を得たと伝えられています。そのためシャーヒ・ジンダ(生ける王)と言われるのです。ここを二度礼拝すれば、メッカに一度行ったことになるとされることから、礼拝者があとをたちません。

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2008/03/12

シャーヒ・ジンダ廟 その1

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シャーヒ・ジンダ廟はティムールの一族が眠る墓群です。ティムールやティムールの息子や孫はまた別の場所に眠っていますが、姉妹や奥さんたち、ティムール帝国に仕えた将軍などがここに眠っています。最奥に続く一本の道の脇に青い廟がずらっと立ち並ぶ光景は圧巻です。ティムールの廟よりも観光客が多いのはこの華やかさもありますが、最大の理由は別のところにあります。それは何でしょうか?それはこれからわかっていただけます。

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2008/03/11

ウルグベグの天文台

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天文台設置における三条件をご存知でしょうか?資金力、ロケーション、30年間の観測記録がその三条件です。40年間も帝国の王座についていたティムールの孫であるウルグベク(1394~1449)には可能なことです。チョルパンアタの丘に建てられた天文台は1018もの新星を発見しましたが、どのような方法で発見したかは残されませんでした。天文台の観測で一年間の時間を一分以内の誤差でほぼ正確に計算されていたことも、その天文台の驚くべき水準の高さを物語っています。現在ここに残っているのは基礎と地中に埋まっている六分儀のみです。

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2008/03/10

紀元前7世紀のフレスコ画 その2

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紀元前7世紀に描かれたフレスコ画の人々がソグド人であることはそこに書かれたソグド文字からわかりました。

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2008/03/09

紀元前7世紀のフレスコ画 その1

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アフラシアブの丘では裕福なソグド人のフレスコ画が発見されました。サマルカンドの前身であるマラカンダの繁栄は商才と工芸技術に長けたソグド人が担っていました。

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2008/03/08

サマルカンドのおもちゃ

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タシュケント工芸博物館でも不思議な動物のテラコッタを見ましたが、チンギスハーンによるモンゴル帝国に破壊される以前のサマルカンドが眠るアフラシアブの丘に建つ博物館でもテラコッタが多く発見されました。

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2008/03/07

サマルカンドのゾロアスター教

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西南アジアではイスラム教が入ってくる以前、ゾロアスター教が深く信仰されていました。遺跡やモスクにゾロアスター教の印を見ることができます。

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2008/03/06

BC2世紀のレンガ

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アフラシラブ丘から見つかったかつてのサマルカンドの遺跡。紀元前のものなのにレンガひとつにも工房のマークがついています。

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2008/03/05

アフラシアブの丘

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アフラシアブの丘にはチンギスハンに破壊されてしまったサマルカンドの前身マラカンダの町が眠っています。アレキサンダー大王がその美しさに驚嘆したというその姿を見ることはかないませんが、今でも丘を掘るといろいろな物が出てくるそうです。丘の近くにはソグド人の壁画をはじめとする貴重な発掘物を見ることができます。

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2008/03/04

『国姓爺合戦 英雄鄭成功』(英雄鄭成功)

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今月3月15日、現代中国映画上映会で上映する映画は、『国姓爺合戦 英雄鄭成功』です。明の時代、将軍と日本人の母親の間に長崎平戸で生まれた鄭成功はオランダに奪われた台湾を奪還した英雄として有名です。この物語は日本にも伝わり、近松門左衛門の戯曲『国姓爺合戦』に描かれました。

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2008/03/03

射日

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『射日』という昔話が中国にありました。それは、太陽が2つあった時代の話です。2つも天空にある太陽に困った人々のために英雄が太陽をひとつ射落とすというストーリ。先月、青蔵鉄道に乗ってラサに行き、この物語を思い出しました。中空に太陽と月が同時に存在します。ラサでのさまざまな体験はいつごろ紹介できるでしょうか?まだ、シルクロードも旅の半分、イランやトルコのご紹介もまだしていない‥。

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2008/03/02

レギスタン広場とハト

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レギスタン広場をじっくり見なければサマルカンドに行ったとは言えません。再び出かけた早朝のレギスタン広場は昨夜の喧騒が嘘のように静まり返っていました。ハトもさわれるほど近づいても飛び立ったりしません。のんびりとハトの横で眺めたサマルカンド・ブルーは空よりも青かったです。

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2008/03/01

ミナレットから

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ウルグベクメドレッセのミナレットは団体観光客が昇るような構造にはできていません。てっぺんまで上っても展望台はありません。階段の頂上というだけで、その上は両手を広げたほどの屋根があるだけなのです。ミナレットとそこに広がる早朝の景色を風にふかれながら眺める気持ちの良さは格別でした。

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